論点

9月18日日本社会学会シンポジウム・コメント原稿

お約束通りこちらにアップします。当日読み上げられたのは2の冒頭までです。 しかしあのシンポ会場は実にいい意味で不穏であったのに不完全燃焼感著しい。壇上に市野川容孝と安藤馨がそろうというだけで十分アレなのにフロア最後列では小泉義之がいつもなが…

日本のポストモダン教育の原点?(続)

後半書き直し。この後にまとめが入る。=========== このように考えたとき、森の没する(2006年)その更に20年ほど前(1987年)に倒れた職業教育研究者、佐々木輝雄の到達点は極めて興味深い。森については、その活躍時期のみならずその仕事の内容…

日本のポストモダン教育学の原点?(続)

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20100720/p3前半を書き直してみた。 日本の人文社会科学における「ポストモダニズム」の本格的受容はいつごろ始まったのであろうか? 「1968年」の余燼冷めやらぬ中、フランス文学出自の書き手を中心として、ジャック…

復習

ハンナ・アレント的、あるいは藤田省三的な意味での「全体主義」概念を軸として、自分のこれまでの規範理論的な作業を振り返ると、以下のようにまとめられる。 『リベラリズムの存在証明』においては、非常に強い意味でカント的な――「独我論者同士の相互承認…

内閣府「社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書 」より

吉川洋・井堀利宏両氏主導の主文と有識者コメントからなる。 第1部は逆進性を焦点に消費税と社会保障について。主文では「引退後も含めた生涯所得ベースで考えれば逆進性はそれほどではない」というが、ロスジェネを中心とする流動性制約のきつい(貯蓄がな…

共和主義・共同体主義の経済学・試論

コミュニタリアンに肩入れする理由などないのですが、「俺がコミュニタリアンだったらこう論じる」って感じかな。 以上のように考えるならば、我々は、共同体主義、ないしは共和主義の経済理論、政治経済学、というものの可能性についても考えることができよ…

増税論について

「増税論者にせよリフレ派にせよこの非常時にかこつけて平時以来の年来の自分に主張を更に押し込もうとする火事場泥棒だ」というお叱りを頂戴しておりますが。 「リフレ派」と目されている人の一部に現状を慨嘆するあまり「革命でもせなだめだ」と毒を吐いて…

たとえばアレントの言う意味での「政治」とは何か

について、アレントを直接には一顧だにせず、古典期ギリシア・ローマの一次資料に即して行われている木庭顕の仕事を参考にして考えてみるとどうなるか。 木庭によれば古典期ギリシアのポリス社会、そこでのデモクラシーと、共和政ローマは意外なほど近しい。…

なぜ私はローマ法にろくな素養もないのに突撃をかけようとしているのか

自分でもよくわかっているわけではないのだがたとえば(これはあくまでも一例でしかない、自分はホームレス問題について深刻な関心を持ってはいない)、ホームレスの公園「占拠」を巡る事件において、事実としてではなく権利としての「占有」の意義が下手をす…

『社会学入門』付録以来の宿題(続)

前回の続きです。相変わらずいい加減。 リチャード・ジェフリーのベイジアン意思決定論というのはThe Logic of Decision作者: Richard C. Jeffrey出版社/メーカー: University Of Chicago Press発売日: 1990/07/15メディア: ペーパーバック クリック: 12回こ…

『社会学入門』付録以来の宿題

前著の付録では社会学的全体論とクワイン=デイヴィドソンの意味・信念の全体論との対応付けと統合という課題が手付かずのまま放り出されていた。 その宿題を果たすべく書きなぐっているメモ。そのおかげでようやくベイジアンとかラムジー哲学とかも齧る覚悟…

佐々木中ネタ本続報

ルジャンドルについては 田口正樹「ピエール・ルジャンドルの「解釈者革命」について」 amazonの『法と革命』レビューより。

昨日の記事への補足

言わずもがなのことではあるが、自律型知能ロボットにとってなぜヒューマノイドであることが重要なのかといえば「自律型知能を持つためには身体を持った社会的存在であることが極めて重要らしい」からである。社会的存在でなければ合理的行為者にはなりえず…

自律型ロボット倫理の応用問題

以前「自律型ロボットの倫理学の基本格率」なるものを思いつき、その議論は『「資本」論』と『オタクの遺伝子』で少し敷衍したのだが、その後グレッグ・イーガンだの飛浩隆だのを読んだうえで更に考えたことを少しメモしておく。 浦沢直樹『PLUTO』は、最初…

リベラルな教育(続)

今日いわゆる「リベラリズム教育学」が言われるときに多く持ち出されるのは学校その他現場レベルでの教育方法の話ではなく、プロパーでいえば教育行政学というか、教育政策論の政治哲学的なお話であり、大概の場合はまさに「ロールズ産業」といいますか、社…

リベラルな教育?

「「リベラリズム教育学」というものは存在しえないのではないか」と以前研究会で話したことがある。 無償かつ強制的な公教育というものについて考える。リベラルな教育というものはこのような公教育を肯定し、なおかつその内容については統制を可能な限り廃…

産業社会論

いわゆる「新自由主義」のインパクトが強烈過ぎたため、そしてこれと関連して、「現存する社会主義」の経済体制が崩壊したため、我々はかつての――19世紀どころか20世紀の過半までの保守主義が、必ずしも経済的自由主義、市場重視の立場と親和的ではなかった…

日本のポストモダン教育学の原点?

森直人のエントリに補足。 ただ単にイリイチ流脱学校論のアカデミック教育学における受容のさきがけというにとどまらず、日本社会科学におけるポストモダニズム受容の、最初期における水準を示すと思われる、故森重雄の「批判的教育社会学」の問題意識は大略…

思いつき(続)

有徳な人格の陶冶とはすなわち規律訓練である。フーコーの統治性論と徳倫理学とはある意味ですんなりつながる。 政治的リベラリズムにおいて人格は超越論的対象であり、権力のターゲットは行為である。それに対して、古典的な意味での規律訓練権力はまさに人…

思いつき

・功利主義その他の厚生主義――為政者、立法者、テクノクラートの立場:一般市民は客体 ・カント的自由主義(権利論、契約論、含む一部の共和主義)――集団的自治の主体としての既に自立した市民の立場 ・徳倫理学的共同体主義――自立していない者たちを自立し…

石川健治「Workplaceと憲法」(『法律時報』2009年11月号座談会報告)

座談会25頁中丸々6頁(補足も入れると8頁強)を占めて座談会における話題提供というよりそれ自体で1本の論文になってます。何という俺様ぶり。 最高裁の「職業」論(「薬事法判決」「小売市場判決」) ・人格の発露 ・社会的機能分担 22条1項の「職業…

JILPT仕分けについて

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100510 特に付け加えることはありません。 まあ若林亜紀が書いているようにいろいろ問題はあるだろうけど(話半分くらいに聞いたとしても不合理なことはいろいろある、ただJILPTの方でも若林にはいろいろ言いたいことはある…

政治poliltics・統治government・行政administration(承前)

イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論は経済理論としてみたときにはもはや到底真面目に相手にするに足るものではないが、政治理論ないし法理論の土俵にパラフレーズしてみるならばまだ救いがいがないでもない。ウォーラーステインは世界システ…

政治poliltics・統治government・行政administration

もう採点は終わってしまったのだけど、東大教育学部での講義のまとめのために、メモ。 今日の日本語では「政治」という包括的な上位概念のもとに、理論政治学(システム論)・政治過程論風の言い回しを用いれば「入力input」にあたる狭義の「政治」=公共的…

「メモ」「人間力」「職業能力」「学校教育」

hamachan先生や金子良事氏や労務屋さんがあれこれ言っているのを脇に見ながら。 本田由紀は公教育の政治的側面、人格陶冶の機能を強調するある種の主流派左翼教育学を批判し、公教育における職業教育の復権を高唱するが、傍目から見れば「さすがに教育学者さ…

「教育」と「学習」の非対称性・非対応性

「教育」と「学習」とは必然的には結びついていない。人間は(そして多くの高等動物も)学習することなしにはおそらく生きてはいけないが、「教育」を受けることなく生きていくことはできる。 「教育」はせいぜい「学習」のための条件を整えること以上のものではな…

今更ながらアダム・スミスに学ぶ

というか『国富論』における学校教育にかかわる議論を整理する。 ・スミスは厳密に言えば人的資本論者ではない。彼によれば無給の徒弟制の人的投資効果は見かけだけのものであり、技能習得は基本的にはlearning by doingがもっとも効果的と考えている。learn…

 「無能な者たち」をめぐって

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e7c7.html 「無能」にまつわる小玉重夫の議論は言うまでもなく田崎英明『無能な者たちの共同体』を踏まえたものであるが、田崎の語り口は小玉のそれに比べるともう一段ガードが堅い。 小玉の語り口…

入試問題をめぐって徒然に

インサイダーなので(入試関連業務の管理レベルのところで本格的な仕事をした経験はないが大学教員である以上末端レベルの仕事なら毎年やっているので)具体的な話をするのには差しさわりがあるのだが、大学入試というのはなかなかに頭の痛い事業であること…

「労使関係論」とは何だったのか(18)

(承前) ここで「知識」と「教養」の区別について一言しておきたい。知識というのはたとえば昨今の認識論では「正当化された真なる信念」などと定義されたりもする。つまりただ単に「真」であるだけではなく、「真」である理由がなければならない。この正当…